エッセイ 『遠き灯』

 
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  学生時代つきあっていた人と、公園で一晩を明かしたことがある。
 一昔前の週刊誌が夏になると決まって特集していた、『真夏の夜に燃える恋人たち』をしていたわけではない。
 ときは大晦日。除夜の鐘を2人できき、その足で深夜の初詣に行こう、と計画してのことだった。
 若く、初心だった私たちは、暖かい室内で時間を過ごすという知恵が回らず、いつも学校帰りに立ち寄っていた公園で、夜を明かそうと考えたのだ。
 恋の情熱の前には、冬将軍もかぶとを脱ぐ、などということは全くなく、歩き疲れてベンチに腰を下ろせば、真冬の冷気が身体の芯まで染み込み、いかに身を寄せ合ってみても、外気にさらされた公園のベンチで『燃える恋人たち』を演ずる熱さは、そうそう湧いてはこなかった。
 それでも、やはり私たちは若かったのだろう。震えながら身を寄せ合っているうちに、強い衝動に誘われ、私はしだいに寒さを忘れた。
 何がどうしてどうなったのか、今となっては定かではないが、私の記憶に鮮明に残るのは、除夜の鐘を、私はベンチの裏の茂みに彼が敷いたコートの上で、彼の腕に抱かれて聞いたということだ。
 ぼぉおん、という響きに我にかえって顔をあげると、冷たく澄んだ冬の空気が、彼と私の体の隙間にすうっと流れこんできた。
 やだ、寒いね、と顔を見合わせて笑い合う、彼の息と私の息が白く流れた。彼がふたたび、私を強く抱きしめてきた。
 だが、どうしてそのとき、そんな風に思ったのか、私はもう、さっきまでのように、我を忘れる時間に戻れなくなっていた。
 
 ワタシハ、コンナトコロデ、イッタイナニヲシテルノダロウ・・・

 強い抱擁をどこか他人事のように感じつつ、彼の頭を胸に抱くと、私は遠くに目をやった。公園の植え込みの隙間から、街の灯りのきらめきが見えた。
 
 ナニヲシテルノ?、ワタシハ、イッタイナニヲシテルノ?

 彼の肌の熱さを際立たせる外気の冷たさとは違う冷気が、ざわざわと心に波立ちはじめていたのだけれど、あの頃の私には、その冷気の正体を見極めることができなかった。

 愛してる、あいしてる、アイシテル・・・

 呪文のように唱えることで、私は自分の心に蓋をした。
 そして、恋はいつしか終わり、彼の記憶も、時の流れに風化した。

 だが、あの夜、彼の腕のなかで見た、遠い街の灯。
 そのきらめきを思い出すと、今でも胸が小さく痛む。

 むかし、むかし、遠い昔の、小さな恋の物語です。 


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by law_school2006 | 2006-08-11 23:24
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