特別エッセイ kさんに捧ぐ 『死者たちの夏』

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  月並みな言葉しか浮かばないことが腹立たしいが、ネットのニュース画面を見たとき、信じられない気持ちだった。
 は?なにこれ?ちょっと、何書いてあるの?うそでしょ?
 私のよく知る人が夏山で滑落遭難したことを伝える記事。名前も年齢も職業も住所も、紛れもなく彼女のプロフィールであったが、なぜ、彼女の名前が、いつもの見慣れたメール画面ではなく全国ネットのニュース画面に映し出されているのか。
 強い違和感をまず感じた。
 
『滑落』『悲鳴』『「死亡』

 まがまがしい言葉が並ぶニュース画面。何度も何度も文字を追っているうちに、ようやく事の重大さが現実感覚を持って迫ってきた。
 
 そんなばかな・・・

 だが、yahoo,msn,asahi.com ・・・いくつものニュースソースが伝える遭難者のプロフィールは、どれもこれも、私が知る彼女のものであり、このニュースが事実であることを、私は認めざるをえなかった。

 そんな、そんなばかな・・・

 私はいそいでパソコンのメールフォルダを開けると、最近の彼女からのメールを片端から読み始めた。

 ほら、彼女はここにいるじゃない・・・
 こんな風にしゃべってるじゃない・・・
 秋にはみんなで会おうって言ってるじゃない・・・

 頭が混乱していた。
 そして、これが・・・これが人生の現実というものなのか、という、重たい諦念が、ひたひたと押し寄せるようにやってきた。
 
 『生きとし生けるもの、皆いつかは土に還る。 人は、たかだか100年のときを、うたかたのように生きるにすぎない。 そうだとしたら、この世の憎しみも悲しみも、そして悩みも苦しみも、 すべては茫洋たる時の流れに泡と消え、美しき想いだけが時代を超えて、 後世に語り継がれていく・・・』
 
 祖先の霊に想いを馳せるお盆の季節に、私は、『死者たちの夏』と題するエッセイで、そんな人生の感慨を書き記すつもりでいた。
 これまで見送ってきた、幾人もの親しき者たちの遺した想いを受け継ぎつつ、いつか自分も消えていくことになる「この世」という人生舞台での一度きりの役回りを、どう演じていくべきか。
 それを書こうと思っていた。

 そして、密かに始めたこのブログに、読むに耐えるだけの作品が蓄積されたら、「こんなもの作ってみました」と、彼女に楽しい驚きをプレゼントしようと、そんなたくらみも、実はこっそり持っていた。

 なんだか、喪失感でいっぱいだ。
 『喪失感』が『いっぱい』だなんて、ちゃんちゃらおかしな言葉遣い。
 だけど、言葉が浮かばない。
 書きたいのに、浮かばない。

 ありきたりの哀悼の言葉なんか、書きたくない。
 ご冥福をお祈りします、だなんて、書きたくない。
 だって、Kさん、私はまだ貴女と話したいことがたくさんあって、読んでもらいたいものがたくさんあって、貴女を見送るなんて、そんなこと、急に言われたってできやしない。
 
 だから今夜は久しぶりに飲みます。
 いつか私がもっと自由を手にしたならば、一緒に飲もうと思って、本当に楽しみにしていたから。


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by law_school2006 | 2006-08-14 02:18
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