エッセイ『ロマン』

 
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 こっそり、ひっそり運営しようと思って始めたブログ。
 膨大な情報が流れゆく場の片隅にぼそぼそと書き記す文章に、それでも目を留めて下さる通りすがりの方がおられることが分かった。
 互いの背景を何ひとつ知らぬまま、ネットの上に流れる情報の交錯に、ふとした引っ掛かりを覚えて、言葉をかけあう。
 パソコン画面と無形の情報に過ぎないところに、「人の心」なるものを見、そして感じる。
 
 普通であれば、年齢、職業、地位、見栄、立場によって形作られた外見が邪魔して見えにくくなっている「人の心」の奥底が、ネットにおいてはびっくりするほどの単純な形をもって、現れ晒されていることがある。
 
 ネットで情報発信することは、世界に向けて自分を晒すこと。
 自室でひとりパソコンに向かっていると、ついうっかりここは誰も知らない閉鎖空間であるかのような錯覚に陥りがちだが、そこで発する言葉は、公道の真ん中で大声で演説していることと同じ。
  だが、匿名性というものは、人を大胆に解放させるから、ネットの世界には、あきれるほどに正直な人間の欲望がさらけ出されていたりする。

 およそ人の欲望は色と金。
 法律の勉強を始める前も、もちろんそうだと思っていたが、法律の勉強を始めてからは、世の中の事件と言う事件は、すべからくこの二つの欲に収斂されることを痛感している。

 話はネットからそれるが、ちょっと法律の世界の話をしよう。
 およそ事件の根源は色と金。
 したがって、いかめしく膨大な判決文のなかに、ときに下手なポルノ小説よりもはるかに想像力をかきたてる表現が出現することになる。
 痴情がらみの刑事事件の判決文を、機会があれば皆様も、『最高裁判所刑事判例集』を紐解き、下級審からすべてお読みになってみることをお勧めする。

 正確さと緻密さを旨とする法律の文章の作法にのっとって記された『いや、また被害者瀬川と同棲していたころ、セックスしていたころ、終ったあといつもパンティを風呂場の方へ持つていくんで、』なんぞという自白調書の引用部分には、被疑者と被害者女性の蜜月の日々が垣間見られる。
 そして、その日も「行為」のあとに「殺害」に及んだと主張する検察側と、そもそも当日は被害者宅に行っていないので「行為」は行っていないとアリバイを主張する被疑者側との攻防において、「行為」の前に被疑者が認識したパンティの形状、「行為」の最中のパンティの所在、「行為」の後のパンティの処理が主要な争点の一つになっていたりするわけで、微に入り細に穿った詳細な描写を読みすすめるうちに、何か匂いまでたちこめてくるような臨場感を覚えたりする。

 もっとも、これは、かなり根気のいる作業ではある。
 たとえば上記引用の事件は『高輪グリーン・マンション事件』として、法律をかじったことのある人間にはすこぶる有名な事件だが、『最高裁判所刑事判例集』の該当部分は、全部で500ページを越えるので、読み通すのは、なかなかに大変だ。

 さて、わき道の話が長くなった。話をネットに戻そう。
 ネットにおいて人の欲望が正直に晒される場の代表格と言えば、やはり出会い系。
 元来が好奇心の強い私。みながすなる出会い系なれば、われもひとつ出会ってみるべし。

 というわけで、検索サイトに、それなりのキーワードを入れると、即座に目も眩むほどの「出会い」が溢れでてきた。
 怪しげなところをうかつにクリックして、いきなり高額請求がやってくるヘマは避けたい。
 そこで比較的ソフト(って何がどうソフトなのかであるが)な感じのするところで、あからさまな画像(というのがどのような画像かは言わずと知れているわけだが)を売りにしていないところで、サイト管理者が良心的(って、こういうサイトの何をもって良心的というのかだが)な運営をしていると思えるところを探してみたら、これは、というのをひとつ見つけた。

 そこは、いわゆる「不倫相手」を求めたい人を対象にするサイトだったが、男女それぞれがメッセージを掲示していて、それを読んで気に入った相手にサイト経由でメールを送るかあるいは、気に入った人がいなければ、新たに自分のメッセージを載せることで、メールを待つという仕組みになっていた。
 
 別段他と変わった仕組みであったわけではないが、私が気に入ったのは、そこに掲示されているメッセージが他のサイトとはいささか毛色が異なり、比較的真面目(って、そもそもの根本の動機がすでに不真面目なのであるが、この際そういう道徳は問わないことにする)に相手を求めているのを感じたからだった。

 だが、真面目といっても所詮出会い系。
 掲示されたメッセージは男側からは「もう一度女である自分を取り戻してみませんか」だとかであり、女側からは「甘えん坊の私を思い切り甘えさせてくれる人、いませんか」だとかであったりして、出会い系サイト御用達文言の定型文がぞろぞろと並び、メッセージを読むだけで、もうおなかいっぱい、ときめき度も期待度もおおいに盛り下がるように私には思えた。

 そこで私は考えた。
 これら文言から察するに、ここに集う男女は皆、いくばくかの出会いのロマンを求めているに違いない。
 とりわけ男性のメッセージには、その色が濃く、現実逃避を求める身勝手な男の夢が満載だった。
 ならば、ひとときの夢、ロマンを与えるいたずらをすることも、かような場所では、きっと許されるに違いない。

 すでに子持ちであったが、私は処女を装い、素敵な体験を与えてくれるおじさまを求めるメッセージを載せてみた。
 「最初の体験はとても大事です。若い男には任せられない」という責任感に燃えた「余裕ある男性」からの申し出が、すぐにヤマのように押し寄せた。

 なるほど、男性のロマンとはかようなものか、と納得した私は、もっと直裁に男性のロマンを刺激すべく、ひとつのストーリーを作り、それをメッセージ化して掲載した。

 『32歳未亡人。20代半ばで結ばれた親子ほど年の離れた夫と2年前に死別。子どもなし。急死した夫の経営する事業を受け継ぎ、無我夢中ですごしてきたが、事業が軌道にのり、最近急に寂しさを覚える。恥ずかしくも夫との夜の床が恋しい云々かんぬん。雪乃』

 掲載直後からすさまじい量のメールが殺到した。
 おおまじめに交際を申し込む「私も会社経営をしているので、雪乃さんのお気持ちが分かります」とか、「素敵なお名前ですね。色白で肌の肌理がこまやかな貴女を亡くなったご主人は心から愛されたのだと思います」とか、男性の妄想とは、ここまで豊かに展開するのか、と目からウロコの経験だった。
 
 数々の熱い申し出を受けたけれど、もちろん返事を出すわけにはいかない。
 そして私もやっぱり真面目なんでしょうね。人の心をもてあそぶことにうしろめたさを覚え、もうこういういたずらはやめよう、と私はそのサイトを後にした。
 今から数年前のことである。

 そして、先日、そういえば、そんないたずらしたっけなあ、と思い出したので、検索をかけてみると、数年前と同じようにそのサイトが存在していることを知った。
 こういう類のサイトが、消長の激しいネットの世界で数年を生き延びて存在していることに、一種の驚きを覚え、私は掲載されているメッセージをいくつか読んでみた。

 相も変らぬ定型文が並んでいるのは数年前と同じだったが、数年前と違うのは「このサイトで知り合った人と真剣にお付き合いをしてきましたが、先日事情があってお別れしました。そこでもう一度素敵な人にめぐりあいたいと思い、メッセージを登録します」という、再利用組らしい投稿が何通もあったことだった。
 
 こういうサイトでの出会いの何をもって「真剣」というのか、「真剣」なお付き合いが終わったので、もう一度「素敵な人」にこのサイトで「めぐりあいたい」・・・
 
 私には、非常に違和感を覚える言葉遣いであったが、現代の「大人の恋愛」と称されているものの正体は、こんなものなのかもしれない、とも思った。
 そして、さらに思った。
 男性になりすまして書くとしたら、どういうメッセージを書けば女性をひきつけることができるだろうか、と。
 
 男性ほど、単純なロマンには酔えない女性。
 少なくとも「妻との夜の床が恋しい」などと書いた日には、女性は全員そっぽを向くに違いない。
 
 夫を恋しがる未亡人は欲望を掻き立てるが、妻を恋しがる寡夫は欲望の対象外。
 こういう男女差を大真面目に研究した文献、どなたかご存知ないでしょうか?


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by law_school2006 | 2006-08-17 14:38
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