エッセイ『幻の交差』

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 朝から、結局パソコンの前に座りきりで、始めたばかりのブログに手を入れて過ごした。
 いい加減勉強のリズムを取り戻さなければいけない、と分かってはいるのだが、書きたい欲求にかられ、書くからには妥協せず書きたいと思い、妥協したくないとなると、ブログのレイアウトがいちいち気になり、ああでもない、こうでもない、と試行錯誤して過ごした。
 
 そして、ひっそり運営するつもりで始めたのだが、いざ始めてみると、知人以外の見知らぬ誰かにも見て欲しくなり、かといって、滅多やたらな輩に、静かな場所を荒らされるのも嫌だし、というわがままな気持ちが芽生え、それなら、このようなブログに多少なりとも興味を持ってくれそうな人をネットの中に探索しようと、今日は久しぶりにネットの中を放浪してみた。
 
 年代が近そうな人、人生の感慨を共有できそうな人、文学的なものに興味がありそうな人、弁護士めざしてますという人、理由はないが、なんとなくこの人いいな、と感じられた人、などなど10箇所ほどに立ち寄り、それぞれコメントを残してきた。
 
 そして、さて、それでは、勉強しよう、と思って机に向かってみて、なんだか疲労感と徒労感に襲われている。
 
 何かをしていないと落ち着かない自分。まるで勉強に集中することができない。
 いつまでもぐずぐずと自分の日常生活に彼女のことを引きずっていてもしょうがあるまい。そう頭では分かっていても、感情の深いところに受けた衝撃は、あいも変わらず私を揺らし続けている。

 人は誰でも死ぬと分かっていながら、それはいつか遠い日のこと。親しいものを見送ることは避けえないとしても、それもまだまだ先のこと。
 日々の暮らしのなかで、無意識のうちに目をそらしていることに、いきなり直面させられて、気持ちの整理がやはりまだついていないのだ。
 
 これはひとつの逃げなのだろう、と思う。
 そしてそういう逃げの気持ちを持ったまま、ネットをふらふらと放浪し、みずしらずの人に愛想のよいコメントを残し、覗きにいらしてくださいね、などと書いてきた自分が、私はなんだか情けないのだ。
 
 彼女のお別れの会のおしらせが、彼女のお子さんから関係者に流れた。まだ若い彼女のお子さんが、気丈に母親の見送りの儀式の段取りをとっている姿を目の当たりにすると、何かをしたいと思いつつ、結局は何もできないままに、自分の心から逃げている、そんな自分に嫌気がさすのだ。
 
 しかもネットという場所は、そこに人がたくさんいるようで、実はリアルな人の顔などひとつも見えない場所。
 お手軽お気軽に、声をかけあうことはできるが、そこでかわされる会話も、そこで感じあう心も、所詮は、バーチャル。どこか虚しい実体のないものに思えてならない。
 
 ここ数年、ネットをメールと実利的な情報を得るための検索としてしか使っていなかった私は、こんなにも世の中にブログというものが氾濫し、日々の「日記」なるものをネット上に公開している人たちがいることを、今日、探索してみるまで実際には知らなかった。
 今日どこに行き、何をした。今日、何を考え、どう思った。ほとんど人に読まれることを意識していないのではないかと思われるようなつぶやきが、クリックひとつで次から次に現れてきた。
 
 コメントをぜひ書いていってください・・・
 人気ランキングへの投票よろしく・・・
 これからも是非読んでください・・・
 
 
 自分も誰かに読んで欲しいわけだから、何かをとやかく言う立場にはない。
 だが、そういう「見て見て私を見て」のオーラばかりが発せられている場所を渡り歩いて帰ってきたら、なんだかひどく疲れてしまい、毛布にくるまって耳をふさいで小さくなってしまいたい気分になっている。
 都会の人ごみを歩きつかれたような、心の疲労を覚えている。

 だが、それでも私は、ここしばらくは、こうして、ここに書き続けるだろう。
 書かなければ、書いていなければ、私は彼女への約束が果たせないからだ。
 私に対して強く書くことを進め、大学院進学によって書く時間が減ることを残念がり、私の文章を読むことを、本当に楽しみにしていてくれた彼女に対し、私が今できることは、こうして書くことしかない。
 たとえかりそめに人の心が交差する場所にすぎなくても、ここにこうして書くしかない。

 彼女にこのブログを読んでもらいたかった。
 彼女への追悼の念にかられながら、あれから何十回思ったかしれないことを、今もまた思っている。


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by law_school2006 | 2006-08-19 17:50
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