エッセイ『女学生』

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  お目付け役からドクターストップがかかるのではないか?と危惧しつつ、勉強をする努力は潔く放棄し、エッセイを書くことにする。
 だいたいこのくらいの勢いと集中力がなければ、このトシになって、こんな勉強をやってはいられない。勉強するときはする、したくないときは、しない(って、本当はしたくないときでもしなくてはならないのは、先日エスカレーターのたとえ話に書いたとおり)
 だから、書く。 

 小学校3年生までを横浜で過ごした。横浜は坂の多い町で、私の家は、大きな国道から細い坂道を上る、その坂の途中にあった。
 大人になってからその地を訪ねたとき、その坂道が記憶の中の坂道よりも遥かに狭いことを知り、こんな小さな場所が私の子ども時代の生活圏の全てたっだのかと驚きを覚えた。
 
 坂道を下り、国道の反対側の坂を上ったところにあった、プロテスタントの幼稚園に私は通っていた。
 クリスマスの降誕劇のとき、私はどうしてもマリア様をやりたかったのだが、気が強くて声が大きかった私には、マリア様のお役は回っては来ず、「ナレーション」という、役が割り当てられた。
 マリア様役は、おっとりとした色白の女の子が射止め、白く半透明のふち飾りのあるレースのベールを被り一心に祈りを捧げる姿は、子供心にも美しく見えた。
 そして、それに比べて、幼稚園のグレーのスモック姿でマイクの前に立っている色黒の私は、ちっとも可愛らしく見えないことを、5歳の私はちゃんと自覚していた。
 
 思えば私の容姿コンプレックスは、あの降誕劇のキャスティングの日に端を発したのかもしれない。
 
 私はかわいらしい女の子じゃないんだ、白いレースが似合う女の子じゃないんだ。

 小さい頃から、目端が利いて、何かと大人の覚えがよかった私だったが、女の子の価値は、実はそういうところにはないのではないか?ということにおぼろげながら気がつかされたのは、この5歳のクリスマスの日であった気がする。

  私が幼かった頃は、まだ女学生という言葉が生きていて、私の隣の家に、当時高校生だったお姉さんが住んでいた。
 一人娘さんだった、お姉さんは、お人形のたんす(木製)だとか、いい匂いのする桜紙だとか、しゃれた絵のついた小さなメモ帳だとか、今のように豊富なおもちゃもキャラクター文具もない時代の子どもにとっては、宝物に思えるものを、よく私にくれた。

 それらをしまっておく、表に舞妓さんの絵が書いてある、縁を金属で補強した厚紙で作られた箱も一緒にくれて、その箱は、金属がすっかりさびついているものの、今も私の机の引き出しの中にある。

 お隣には、毛色が真っ黒だったことから「クマ」と名づけられた大きな秋田犬がいた。
 お隣にお届け物をしたり、回覧板を回しにいくと、お姉さんはちょっとしたものを、いつも私にくれたので、それ欲しさに私はお隣にお使いに行きたかった。
 だが、私よりもはるかに体躯の大きいクマが怖くて、お隣には遊びにゆきたし、クマは怖しだった。

 穏やかな光がさしこむ縁側で、「このなかから好きなしおりをあげるわ」と色とりどりのしおりを出して見せてくれた年上のお姉さんの柔らかなたたずまいを、私はいまでもよく覚えている。

 ある日、お隣が急にお引越しをすることになった。
 病気で入退院を繰り返していたお父さんが亡くなり、社宅であるここを出なければならなくなったからだった。
 別離というものに、いまだ鈍感だった幼い私も、もうお姉さんとは簡単には会えなくなるのだという寂しさを感じた。
 お姉さんは、これ、全部あげるわ、と金銀の砂で装飾された、いい匂いがするディズニーのクリスマスカードや女学生雑誌の付録の中原淳一の絵のついた紙袋を私にくれた。
 そして、新しい家は、団地なので犬が飼えないから、とクマは私の家で飼われることになった。

 数年後、私の家も横浜を引き払うことになり、転居先では犬を飼えないことから、母の知人のところにクマはもらわれていくことになった。
 横浜を引き払う前夜、すでに複雑な感情が芽生え始める年齢に達していた私は、2段ベッドの中で、慣れ親しんだ家を引き払う寂しさに泣いた。
 数日前、すでにクマは知人の家に引き取られており、犬小屋はもう空っぽだった。
 自分の家の犬になってからも怖くてしょうがなかったクマなのに、いなくなってしまうと、ひどく寂しかった。

 もう明日からはこの家に暮らすことはない。
 幼友達と離れ、見知らぬ土地の見知らぬ学校に通わねばならないのだ。

 中華街に遊びに行ったときに買ってもらった、鳥の白い羽でできた扇の柔らかな羽の縁を手慰みになでながら、私は夜半すぎまで、なかなか寝付けなかった。

 転居して間もなく、だいぶ弱ってきたから、という知人からの連絡を受けて、一度だけクマに会いにいった。
 その後間もなく、クマが死んだと母から聞かされた。
 哀しいな、と思ったけれど、涙はこぼれなかった。

 お隣のお姉さんの父親の死が、長く心を病んだあとの自殺だったことを知ったのは、私がすっかり大人になってからのことだ。
 当時お姉さんがお付き合いをしていた人に送られて、夜自宅に戻って鍵を開けると、階段に紐をかけてぶらさがっている父親を発見したのだという。
 お姉さんの母親の留守中の出来事であり、お姉さんは我が家に駆け込んだ。
 ただならぬ気配にかけつけた私の両親は、事態を知ると、母が救急車を呼び、父が階段からお姉さんの父親を抱き下ろした。
 
 私は何も知らずに自宅の2階で夢を見ていたのだろう。
 「全部あげる」と微笑んでいたお姉さんがどれほど辛い気持ちを抱えていたのか。
 もう孫がいるような年齢になっているはずなのに、お姉さんは、私の記憶のなかではいまでもお下げ髪のままである。


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by law_school2006 | 2006-08-20 00:10
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