エッセイ『シュールな出会い』

d0085136_23581319.jpg




  最近の私の楽しみは、毎朝、このブログを開き、コメントをいただいていればお返事をし、いくつかのブログを見て回り、その後、朝の歯ブラシをしながら、ブログの新着投稿画面を眺めることである。

 私は結構いつまでも歯を磨いていて、10分か15分はシャカシャカと歯ブラシを動かしている。
 そして、歯ブラシをしている間というのは、案外手持ち無沙汰なもので、かといって、テレビを見たりしていると、思わず引き寄せられるニュースがあると、歯ブラシの手が止まってしまい、ブラシを咥えたまま画面に見入り、口内泡だらけになるばかりで肝心の歯がさっぱり磨けていないことになりがちだ。
 
 その点、ぼけっと眺めていればいい新着投稿の画面は格好の暇つぶし。
 ざっと見渡し、面白そうなものがあれば、クリック。予想が当たって、素敵なブログに遭遇すると、宝探しで宝物を見つけたようで、朝から気分がいい。
 
 だが、ものすごい勢いで更新されていく新着投稿。

 クリック、見る、シャカシャカシャカ、クリック、見る・・・
 
 え?さっき先頭にあったブログが、もう画面から消えちゃってる!
 ひょえ~。

 この新着投稿なるページが、こんなに猛スピードで更新されていることを、私は数日前に初めて知り、このブログを開設して間もなく、ごく身近な人間しかその存在を知らなかった頃「新着で偶然見まして・・」というコメントを下さった方(あれからいつもおたちよりいただき、どうもありがとうございます)がいらしたのだが、それはまさに針の穴を通すほどの偶然であったのだと知った。

 そんな偶然に思わず感動し「こんな偶然滅多にありませんねっ。10年若かったら、貴方と恋に落ちていたかもしれません」とか言うようなことを相手の方のブログに書き込んでくる私は、しかし、実に口の軽い女だ。

 そして、新着投稿画面も、見慣れてくると、その膨大な更新情報のなかから、これは、というブログを見つける眼が養われてくる。
 更新情報は、ブログタイトルと、記事のタイトル、そして、書き出しの1、2行しか出てこない。
 しかし、それだけでかなりの情報が伝わってくる。

 まず、ブログタイトルの訳がわからないものは、大概中身もワケが分からない。
 そして、無論記事のタイトルも重要だ。
 『無題』と書くくらいなら、更新するなよ、と言いたいが、無題であっても、とりあえず、何かを叫びたいのであろう。

 その手のタイトルの下、「おおおおおおお、たいくつ~~~~~」などと書いてあるので、どれどれどれほど退屈なのじゃえ?とクリックしてみると、「ああ、たいくつだよ~~。ったく、ばかだね、オレさま」という呟きが記され、それで終わりになっていたりする。
 まさか「ええ、ほんとうに」とコメントつけるわけにもいかず、こういうブログは、失礼しました、とそっと立ち去るのみである。

 その一方で、花月写真館という見るからに美しいブログタイトルに惹かれてクリックしてみたら、期待を裏切らない写真の数々に、ああ、いいモノを見たと嬉しくなって、こういう方には是非、このブログにもお誘いしたいという気持ちになって、「お時間がありましたら、覗いてみてください」と遠慮がちにコメントを残してみたりするのだ。

 というのも、どうも私は、こう見えても遠慮深いところがあって(どこが?という声が、一部から聞こえる気もするが、無視)「ブログ、是非見に来てくださいっ!」とあっけらかんと誘いきることにためらいを覚えてしまう。

 ブログをあちこち回っていると、結構「ブログランキング」のバナーがピコピコしているのを見かけることがあるのだが、ブログがそのようなアクセス数を競う場にもなっていることに、抵抗感を覚えるのだ。
 自分だって、多くの方に見てもらいたいという気持ちがあるくせに、だ。

 「おかげさまで1000ヒット超えました!」と宣言している新着情報を見かけたので立ち寄ってみたのだが、内容をざっと見てみると、いかにヒット数を増やすかということに随分と心を砕いている様子。
 だが、はっきり言って、それのみが目的でもある様子。

 確かにたくさんの人が自分のブログを訪れてくれることは、嬉しいことには違いない。
 だが、ただ、数が多ければ、数さえ多ければ、それでいいのだろうか?

 それは携帯のアドレスに登録した人数が友達の人数であり、「おはよう」「おはよう」「いま何してる?」「ん~、テレビみてる」「へ~」というだけの会話を毎日交わすことが親友の証と言う、中高生の人間関係観の希薄さとまったく同根であるように思え、通り一遍のあいさつだけの付き合いに、私は、虚しさを覚える。

 ネットは、ある意味、非日常の世界だ。
 少なくとも、私は日常生活を離れ、感性を自由に羽ばたかせる場所として、自分のブログ空間を考えている。
 だが、非日常の世界であっても、そこにある人の心は感じたいし、自分の心を開きたいと思っている。
 シュール(現実離れ、非日常的)な出会いであっても、通う心は温かくありたいのだ。

 そういうなか、今朝は、思いもかけぬシュールに出会った。
 三省堂のワードワイズウェブページによると、シュールとは「①超現実的な、②不条理な、③奇抜な、④難解な様子」を意味するのだそうだが、今朝の出会いは、③の意味か?
 やはり歯ブラシが取り持つ縁だったのだろうか。
http://samenoha.exblog.jp/i0


マミヤRB67 65mm f4.5 T-MAX400
[PR]
by law_school2006 | 2006-08-26 00:08
<< 特別エッセイ『旅立つあなたへ』 エッセイ『拝啓 セピア様』 >>