エッセイ『自画像』

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 DJOZMAという歌い手がいる。
 ご存知ない方は、今年の紅白にも出るので、そこでチェックしてもらいたい。
  音楽を聴いているヒマがあったら、民訴(民事訴訟法)の定義(たとえば、【証拠方法】とは裁判官がその五官の作用によって取り調べることのできる有体物であって証拠調べの対象となるもの【証拠資料】とは、裁判所が証拠方法を取り調べて獲得した内容【証拠能力】とは証拠となりうる資格【証拠力】とは一定の証拠資料が事実の認定に役立つ程度【証拠原因】とは裁判官が事実の存否につき確信を抱くに至った原因となった証拠資料および弁論の全趣旨・・・といったもののことです)のひとつも暗記する時間に費やすべし、という生活を送っているので、最近の音楽事情には滅法疎くなっているが、年末は音楽番組が多く、夜のちょっとした空き時間にテレビをつけると、今年流行った歌をまとめて聴くことができる。

 DJOZMAの『アゲアゲevery騎士(ナイト)』なる楽曲は、街中でもよく流れていて、確かにノリがいい曲だから一度聴くとメロディーが耳に残り、なるほどいかにも「流行の歌」としてのオーラが感じられる。
 だから、歌い手である彼がアフロなヘアにパンツ一丁(正しくは歌の途中からパンツ一丁になる)という、いかにも受け狙いの安易ないでたちであろうが、大勢の男性バックダンサーたちが、皆揃ってパンツ一丁という芸のないいでたちあろうが、女性ダンサーたちが当然のごとく限りなく下着に近いブラ&超ミニスカートであろうが、そして彼女らがお約束どおり、歌い手を取り囲み腰をクネクネと絡ませる(こすり付けるといったほうが的確か)というポーズを取ろうが、テレビカメラが歌い手の股間部分を意味もなくドアップで映そうが、それはショービジネスとしての1つの姿なのであろう。

 だが、この楽曲が、40代男性から高い支持を集めているとなると、ちょっと話は違ってくる。
 というのは、『アゲアゲ・・』は確かにノリがいい曲ではあるが、私が見るに、それはせいぜい大学運動部コンパでの男子学生の宴会芸レベルのノリでしかない。
  見世物、流行物(はやりもの)として流行に敏感な世代が通過儀礼として、かような馬鹿騒ぎに興じるのは健全だと思うが、四十を超えた、いい大人の男たちから高い支持率を得るとは一体どういうわけか。

 ここでいう支持率とは、その一年流行った歌について、男女別年代別に支持率データをつけてベストテンを発表する番組における支持率なのであるが、この番組はなかなかに面白く、10代20代からは圧倒的な支持を得ながら、40代以上には全く支持されない(おそらく、その歌手の存在がこの年代には知られていない)歌い手もいれば、逆に、40代50代の女性たちの圧倒的支持を得ている氷川きよしなど、「なるほど」と思わされるのだ。

 普段音楽番組を見ることのない私などには、へえ~っ、こういう歌がこういう年代の人たちから支持されるんだ、ということがわかり、いろいろと勉強になる。

 そこで、DJOZMA。
 バウンスバウンスと意味なく叫びまくり、ノリノリで淫らなチューしよう!(全歌詞を知りたい方はこちらをご参照)とパンツ一丁で腰をくねらせ、テレビカメラに向かって股間を突き出す踊りは、まさに伝統的な運動部宴会芸。

 下ネタ勝負!とにかく脱いじゃえ!の単純な悪ノリ芸なのだ。

 下ネタ勝負が悪いとは思わないし、単純な悪乗り芸に打ち興じることも、また楽しかろう。
 楽しむことに理屈などいらぬ。
 飲めや歌え、脱げや踊れ。

 だが、私が思うに、このような馬鹿騒ぎは、若い時代に仲間内で共有し、そしてそこで卒業しておくべきもの。
 人間、その年齢にふさわしい経験というものがあるだろうと思うのだ。
 四十を越えた男たちがこういうノリに高い支持を与える日本と言う社会の幼稚性には、ほとほとゲンナリしてしまう。
 ちなみに、40代男性についでDJOZMAを高く支持していた層は、小学生男女だ。

 DJOZMAを支持するという40代男性は、多分、おそらく、あのイタリア人モデルが表紙を飾っている雑誌の愛読者層と重なるのではないかと思われる。
 あなたに必要なのはお金ではなくセンスです、というのが確かあの雑誌のキャッチコピーであったかと思うが、雑誌を買った時点で、すでにまったくセンスがない、と私には思えてならない。
 
 このブログの愛読者(かつネタ提供者)のお一人が、ご自身のブログのなかで、このイタリア人モデルを評して「オチ○チンが服着てるような人」と書いているのを読んだ瞬間、その喩えの的確さに大爆笑した。
 そして、そこのところをまさに雑誌の中心コンセプトとして編集がなされ、結果、この雑誌が、近来の雑誌界でまれにみるヒットとなったところに、世の中の真実は紛れもなく映し出されているのだ。
 
 エロスの追求は人間の根源的欲求であるし、性の喜びを謳歌することに躊躇はいらないだろう。
 だが、その追求も謳歌も年齢相応の経験という深みが伴わなければ、浅薄な欲望の発散に終わる。
 そして単なる欲望が歯止めなく垂れ流される社会では、エロスは芸術の源ではなく、際限なき欲望世界への入り口にすぎなくなろう。

 イタリア人モデルが表紙の雑誌をはじめとして、昨今雨後の筍のように創刊が相次いだ同種の男性誌と、これら男性誌に呼応するかのように「あなたの人生オトコは必要ですか」というような、愚問としか言いようのない問いかけを掲げる女性誌の創刊を見ていると、近頃の日本人の官能世界の貧しさを感じざるを得ない。

ノリノリだぜいっ!と欲望オーラ全開のDJOZMAの踊り謳う姿をテレビ画面にぼんやりと眺めていると、画面いっぱいの乱痴気騒ぎに、中身がスカスカの現代人の自画像が浮かびあがるようで、妙に情けない気分になるのだった。

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by law_school2006 | 2006-12-24 23:33
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