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エッセイ『女友達』

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 『妹の離婚もいよいよ秒読み・・』というメールを、長年のつきあいの女ともだちからもらったのは数ヶ月ほど前になる。
 
 いよいよって、私はそんな話初めてきいたぞ~、と思いつつ、彼女が私にメールを寄越すのは、メールに書いたこと以外に何か話したいことがあるときに決まっているので、早速彼女の携帯に電話をかけた。
 
 携帯を「持ち歩き可能公衆電話」(つまり自分がかける必要があるときだけ使用するという意味)程度にしか使っていない私と違って、仕事にデートに携帯フル活用の彼女を捕まえるには、携帯電話が一番だ。
 子どもが産まれたとたんに、女作って家出した亭主と修羅場の離婚劇を繰り広げたのも今は昔。子供たちもすっかり大きくなり、生活を支えるための仕事以外に、最近の彼女はデートなどにも忙しい。
 
 もっとも、女作って家出した亭主に始まり、彼女は実に男運が悪い。いや、運が悪いというよりも、10代のときに知り合った元亭主はともかく、その後つきあいのあった男性を見る限り、実に男を見る目がない、といったほうがいい。
 どうしてそんな男を、と思う男ばかりを好きになり、どうしてそんなことまで、と思うほどに相手に尽くし、最後はそんな自分に疲れ果て、もういやだ、と別れることを毎度毎度、繰り返している。
 
 彼女曰く、それは離婚のトラウマなのだそうだ。ある日突然、晴天の霹靂のように、「ほかに好きな女ができた。オマエとは別れる」と元亭主から言われたことが、自分の女としての自信をこなごなに打ち砕いてしまったのだ、と。だから、自分が一生懸命尽くさなければ、すぐに私なんか捨てられてしまうという恐怖感があるのだ、と。
 
 おいおい、冗談じゃないよ。それは元亭主がトンデモ男であっただけの話で、自分の子どもを産んだばかりの女房をあっさり捨てるなんて、人間として最低、ケモノ以下のヤツであり、そういうヤツには必ずや天罰が下る・・・なんてことを言ってみても、もちろん彼女に対する何の慰めにもならない。
 
 だって、彼女は元亭主にぞっこんほれ込んでいたわけで、一方的に足蹴にされながらも「愛人でいいから、あなたのそばにいたい」と泣いてすがり(でも、それって気持ちの醒めた男にとっては、まったくの逆効果だったのだろうけれど)家を出た彼の住むアパートを昼間訪れては、鍵の閉まったドアの前で、新聞受けをそっと開け、そこから流れ出る彼の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ(という話を調停委員に話したら、オマエは変質者か?という目で見られたらしいけど、調停委員というのは、おそらく、「婚前交渉?まっ、ふしだらな」という世界で今も生きている人種なのであろう)彼女にしてみれば、彼を悪く思うことなどできようはずもなく、ひたすら、彼に愛されなかった私が悪い、になるのだ。
 
 まったく、こういう女の気持ちを踏みにじる男は許せないっ!と私としては思ってしまうわけだが、世の男女にはこの逆の話ももちろん沢山あるわけで、要するに、男女の間柄は惚れた側が絶対的に弱いのだね。
 
 と、前振りが長くなったが、彼女に電話をしてみると、案の定、またろくでもない男とつきあっていることが判明した。私が率直にそのことを告げると、彼女は「やっぱり~?私って男見る眼がないのかなあ。」ときた。
 
 やれやれ、まったく学ばない友である。
 
 だが、実はこの友に私は頭が上がらないことがある。詳細は差し控えるが、私としては彼女の存在が、私の命をこの世につなぎとめたのだ、と思っていることがあるのだ。
 そのときの私を支えたのは、多分、彼女だけではなく、家族やその他の知人友人、その他もろもろ、それまで私が培ってきたさまざまな関係性があってのことだ、とは思う。
 
 だが、平常心を取り戻したとき、私がしみじみ思ったことは、人は幾重ものセーフティーネットによってこの世に繋ぎとめられていて、簡単なことでは、自らの命を消すことには至らない、ということ。それらネットが次々と破られたとしても、最後の最後に、蜘蛛の糸一本ほどでも残されていれば、人は命をこの世につなぎとめることができるのだ、ということ。そして、彼女は、正確には彼女が私にかけた言葉は、けっこうぎりぎりのセーフティーネットとして、そのときの私に作用して、私をこの世につなぎとめたのだ、ということなのだ。
 
 残念なことに、今の日本では、たくさんの人たちが日々自らの命を絶っていく。おそらく、そういう人たちは、ぎりぎり命を支えていた最後の蜘蛛の糸がプツンと切れてしまい、自分をこの世に繋ぎとめるものがなくなったその瞬間、ふわりと向こうの世界に飛び込んでしまうのではないか、と私は思う。
 
 離婚したいと思うことと離婚することは全然違う、と言うこの友の言葉を借りれば、死にたいと思うことと死ぬこともまた全然違うのかもしれぬ。
 だが、命を繋ぐセーフティーネットを失った人間にとっては、その瞬間、「死にたい」と「死ぬ」の間に、そう大きな距離はないのかもしれない、とも思う。
 
 そういう気持ちのエアポケットを魔が差すと言ったりもするけれど、死にたいなどと思ってもいないのに、ふっと向こうの世界に渡ってしまうことが人の世には、ままあって、あの時彼女を襲ったものも、そんな魔であったのだろうか、と、結局話はここに至り、心がズシンと重くなる。

by law_school2006 | 2006-08-15 23:13
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